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JCJ機関紙「ジャーナリスト]10月号に掲載された記事です。 
 Daily JCJでお読みください。

 高江の子らの涙の上にある
 安堵を味わうのは誰?

 本当にオスプレイ来ちゃった、やだよぉ~!」10月1日、普天間基地のゲート前。湧き起る「オスプレイ帰れ」の怒号の中、高江の子供たちが泣き叫んだ。この6人兄弟の家は東村高江に建設中の米軍のヘリパッドから400Mしか離れていない。そこに事故が多いオスプレイが来ると聞き、父親の安次嶺現達さんらが座りこみを始めたのは5年前。

  Daily JCJ
 JCJ機関紙「ジャーナリスト」7月号に掲載した、神奈川支部総会と例会の記事です。
 例会の参加者には、講演要旨を送付しました。


 原子力空母の危険性で講演
 米軍の説明鵜呑みの日本政府 
 神奈川支部2011年度総会・例会

 神奈川支部は6月23日、2012年度の支部総会と例会を開催した。
総会では昨年度の活動を点検し、次年度の方針を討議した。
 続く例会には、一般の参加者を含め21人が参加、「原子力空母の母港化を阻止する三浦半島連絡会」事務局長の新倉泰雄氏の話を聞いた。
 新倉氏は昨年の震災と原発事故の時の、横須賀基地に停泊していた米原子力空母ジョージ・ワシントンの行動を報告した。巨大な空母が引き波で岸壁から引き離され、水位も1メートル83センチ下がったという。
 原子炉の熱で蒸気タービンを回す原子力艦船は、原発と兄弟のような存在。福島第一原発事故で冷却水が供給できなかった事態と同様に、引き波で海水を冷却に使えない事態が懸念される。
 また基地には純粋プラントなど陸上から空母をバックアップする施設があるが、直下型地震の強い揺れで、そうした施設がダメージを受ける可能性も否定できない。三浦半島には活断層群があるだけに、住民はリスクを抱えている。
 海底が隆起した場合、空母が座礁する可能性もある。
一旦、事故が起きて放射能が外部に漏れだした場合、その影響は横須賀市にとどまらないのは、昨年の福島の事故からも明らかだ。
しかし、08年に原子力空母が配備されるときに、米軍は原子力空母は事故を起こさないし、仮に放射能がもれても基地内にからでないと、住民に説明したという。
原子力空母に不安を抱く市民の問い合わせを受ける横須賀市は、国に問い合わせる。国は在日米軍に問い合わせる。米軍は、一方的に安全性を主張するだけの「ファクトシート」を示す。国も国の説明を受ける横須賀市も、それで事足れりとして、住民の不安には答えない。
新倉さんが説明した過去の行政との交渉経過は、安全性をなおざりにし、原発再稼働を急ぐ野田政権の姿と重なるものだ。
最後に新倉さんは、安全ならば原子力空母を求めていいわけではないとし、戦闘能力の高い空母配備が東アジアの緊張と軍拡を招いていることも指摘した。   (神奈川支部)
 JCJ機関紙「ジャーナリスト」に掲載した神奈川支部の登戸見学会の記事です。

 10月8日、神奈川支部では、旧陸軍登戸研究所の見学会を開いた。
 川崎市多摩区にあった登戸研究所は、1937年(昭和12年)に陸軍科学研究所が東京・新宿から移転してきたもので、広大な敷地は現在、明治大学のキャンパスとなっている。
宮永さん(旧陸軍登戸研究所の保存を求める市民の会)の案内で、まずキャンパスの一角にある弥心(やごころ)神社を見学。続いて動物慰霊碑まで移動した。
 慰霊碑は実験動物の慰霊碑とされるが、研究者には中国人捕虜に生体実験をした心の負い目もあったのではないかと、宮永さんは推測する。
 研究所の本館前のロータリーに植えられていたヒマラヤ杉があり、幹回りが二抱え以上ある巨木に育っている。
 当時の建物は殆どなく、キャンパス内の道の端にある消火栓、コンクリート製の弾薬庫が、僅かな遺構だ。
 中国紙幣の偽札を印刷・貯蔵していた木造の建物も、老朽化で昨年に取り壊された。建物の部材が、明治大学平和資料館に展示されている。
 資料館は生物・化学兵器を研究していた第二科の建物を利用している。
 宮永さんの案内で資料館を見学した。偽札の実物も展示されている。偽札の使用は国際条約により戦争犯罪として禁じられていたが、日本軍の関係者は情報提供の見返りに、訴追を免れたという。
 風船爆弾も登戸研究所で開発された兵器だ。アメリカでは、日本軍が風船爆弾に生物兵器を載せることを懸念して、パニックを恐れ、風船爆弾のことを秘密にしていたという。
 登戸研究所は、スパイの道具を開発したり、偽札を印刷したり、諜報戦に関わり、その存在は極秘にされていたが、大きな研究所には相応に人手も必要で、地元の学生などの募集もしていたという。資料館で視聴したDVDには、当時の関係者の記念写真なども記録されていた。
 興味深い企画だったため、参加者はJCJ会員以外の一般含め35人だった。(神奈川支部)
機関紙9月号に掲載した記事です。

 JCJ神奈川支部賞を贈る

9月10日、横浜市の建設プラザで第42回神奈川県機関紙ミニコミ紙誌宣伝コンクールが開かれた。
神奈川支部は、機関紙協会神奈川県本部と提携し。コンクールではJCJ神奈川支部賞が設けられている。
今年のJCJ神奈川支部賞受賞紙は「川崎医療生協」と「全日本年金者組合相模原支部ニュース」で、伊東良平神奈川支部代表から、賞状が授与された。
伊東代表はJCJ神奈川賞受賞作をはじめ、機関紙の水準の高さを称えた。
今年の応募作では、東日本大震災の救援活動の報告や、カンパの呼びかけが目立った。
また高齢者運動、年金者組合などの支部レベルの機関紙の応募も昨年より増加している。

 機関紙「ジャーナリスト」2011年7月号に書籍の紹介記事(「書評」というのはおこがましい気がします)を書きましたので、ここに再録しておきます。
 住民運動の過去の経験を生かすために貴重な本だと思います。いま「反原発」の一点で結集をといわれますが、杉並の人たちが、原水禁署名運動を成功させた歴史に学ぶことは多いと思いました。


 『原水禁書名運動の誕生 東京・杉並の住民パワーと水脈』
     丸浜江里子著
 (凱風社 3500円)
「原水爆禁止署名運動は杉並の主婦が始めた」と書かれている本は多い。だが1954年の運動が実際にはどういうものだったのか。詳しくは知らない人もいるだろう。
 全国で集めた署名は約3200万筆。保守も革新も超えた運動は空前の成果をあげた。
 再軍備反対も護憲も言わず、ただ世界へ向けて原水爆禁止だけを訴える運動は、日本国民多数の賛同を集めた。
 筆者は「学校に自由の風を」の運動で知られる杉並在住の社会活動家。
 活動の傍ら明治大学大学院で学び、本書は修士論文をもとにした大冊である。戦前の生協運動や戦後の杉並区政も視野に入れた地域史、女性史としても読める。最も興味深いのは、署名運動の広がりをもたらした中心人物たちの群像だ。
 原水禁署名運動の高揚は、ビキニ環礁での水爆実験で、第五福竜丸が被災し、魚類汚染の懸念が背景にある。当時の世相が活写され、読者は原発事故後の「今」と重ねあわて読むだろうが、もし読み手が社会活動家であるなら、運動へのヒントも 様々に得ることができるだろう。(保坂義久)

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