プロフィール

JCJkanagawa

Author:JCJkanagawa
FC2ブログへようこそ!


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


最新の記事


カテゴリー


ブロとも申請フォーム


 JCJ神奈川支部ではいろいろな催しを行ってきました。03年7月に川崎市のふれあい館を見学しました。在日朝鮮・韓国人集住地区にあるふれあい館を訪問したのは、02年9月の小泉訪朝で拉致問題が明るみに出て、翌年のことです。

JCJ神奈川支部通信43号(03年8月14日発行)

在日朝鮮・韓国人の戦後史を聞く
   ふれあい館見学と講演会


 JCJ神奈川支部では7月12日、川崎市ふれあい館などの施設見学会と講演会を行った。当初は午後3時から1時間1時間半程度、ふれあい館の重度館長のお話を聞き、それから高齢者交流センターなどの施設を見学する予定だった。だがさんのお話は在日朝鮮・韓国人の戦後史に及ぶ興味深いもので、予定した時間を超過し、結局ふれあい館内部の見学にとどめ、予定した他の施設の見学は割愛した。
 見学会の参加者は、東京新聞掲載記事やインターネットで知ったという人や雑誌『社会福祉』編集部の人など14人。
 見学会後、館長に教えてもらったセメント通りの焼肉屋で交流した。

資料を前に説明する重度館長

 資料を前に説明する重度館長

重度館長の講演要旨(続き 重度館長の講演要旨

子どもから高齢者まで利用
ユニークなふれあい館の性格

 さんは、ふれあい館がどのようにできたのかから説明した。ふれあい館は公設民営の施設。川崎市が建設し社会福祉法人青丘社が運営している。
 60年代、在日コリアンの福祉活動は、保育所設置から始まった。その後、地域の学童保育を川崎市から委嘱される。民族教育などの蓄積が行政にはないからだ。
 それと同時期に施設建設要求の運動が高まり、10年に及ぶ運動の結果、88年にふれあい館が建設された。はじめは「自治体が朝鮮人のために施設を作っても、やがて取られてしまうのでは」という反対の声もあったという。

 ふれあい館建設に時間がかかった理由の一つは行政のセクションにまたがる施設だからという。保育は民生局。学童保育は教育委員会が所管する。縦割り行政もあり、決定までに時間がかかる。
 ふれあい館は民族文化交流と高齢者から子どもまで利用できる施設。こういう施設は全国にも例がなく、見学に来た行政マンは「うちでもこういう施設を作りたい」と言うそうだが、「その後、できた話は聞いたことがない」とさん。大都市では施設は棲み分けして、子どもは学校開放、老人は老人福祉会館、障害者は障害者施設。大人は市民文化センターを利用する。しかし地域住民は大人も子どもも年寄りも障害のある人もない人も、重なり合って生きている。
 青丘社では当初から高齢者や障害者を視野には入れていたが、対応できなかった。今は高齢者福祉センターを開設、介護保険に伴う福祉事業も始め、隣のアパートを借りて障害者福祉にもあたっていると、さんは説明した。

国家間の取引材料
在日の人の戦後史

 川崎南部のこの地区は在日の多住地域として知られている。さんは地域の特性と歴史を、戦後の在日韓国・朝鮮人の法的地位や指紋押捺拒否闘争などを例に語った。
 川崎には戦前から京浜工業地帯の下請けの労働者として朝鮮人が働いていた。
 日本の敗戦時、日本国内に230万人いた朝鮮人は次々に帰国、60万人が残った。日本各地から朝鮮人が川崎に集まってきたが、地域の在日の人口はそれほど多くないという。
 他の在日多住地域が神戸・長田区のゴム製品、東京・荒川の皮革工業など地場産業があるのに比べ、川崎では在日の人は労働者として働いていて、そのような地場産業はないのが特長だ。
 「日本国憲法が施行されたのはいつ?」さんが問いかける。「1947年5月3日。その前日に最後の勅令が出された。その勅令で当分の間、日本にいる朝鮮人は外国人とみなすとされた」
 戦前には同じ日本国家の国民とされた朝鮮人を排除するために使われたのは戸籍だという。戸籍は内地戸籍と外地戸籍に分かれていた。
66年に地位協定が発効し、在日韓国人は親子2代について永住資格が認められた。韓国政府は子々孫々認められるべきだとしていたが、経済援助と引き換えに妥協した。
 さんは政府交渉で在日の問題が取引材料にされたケースをもう一つ紹介した。指紋押捺拒否闘争が盛り上がった当時、訪韓した中曽根首相(当時)との話し合いで、指紋は一回採取とすることで妥協が計られた。ソウルでのオリンピック開催が決まって、在日の資金援助が欲しい韓国政府が妥協したものだ。
 もともとは日本の全国民から指紋を採取する計画だったという。それがGHQの指令で中止され、外国人にだけ義務付けられることになった。建前上は「なりかわり」を防止するため、採取するたびに当人の前の指紋と照合することになっていた。その作業はあまりに煩瑣で実施されなくなっていた。つまり1回採取すれば事足りていた。また本来は許されていない、公安に指紋を渡すことも行われていたという。
 指紋押捺反対運動は、まともに国家権力と対峙することになるため、在日の人も相当の覚悟が必要で、さんたちもその運動から多くを学んできたという。

差別意識は変ったのか 
9.17以後、今の状況

 国籍条項による差別への反対や民族教育などへの取り組みを、人権の問題として運動してきた歴史を、さんは包括的に解説してくれた。若い参加者からは、運動の結果、日本社会は変わってきたのか、また拉致問題以後の状況をどう捉え、どう行動するのか、質問が出された。
さんは、人間の意識はそんなにドラスティックに変わらないが、10年前はできなかったことが実現していることもある」という。地元の商店街から、韓国の農楽をお祭りでやってくれないかという依頼があり、すっかり定着したという。またふれあい館のハングル講座の受講生の8割は日本人だ。
 チマ・チョゴリ切り裂きなども川崎では起きていないそうだ。だが相変わらず「朝鮮へ帰れ」という言い方をされることもあり、本当に日本社会が変わってきたのか、差別はいけないという建前のもとで沈潜化しているのか、見極めはつかないとさんは言う。昨年来の状況にも危機感は感じるという。
 これからどうするのかの質問にさんは、「でもそれは我々に求める前に、日本人がどうするかではないの?」と答えた。「弱い立場の人に頑張れというのではなく、多数者がどう変わるかが問題」としてさんは次のような例を挙げた。教員組合の研修会などに招かれると、本名宣言をした在日生徒と教員の指導のケースが報告される。だが教師が指導すべきは周りの日本人生徒が在日の問題を正しく捉えるようにすること。本名宣言をしてめげずに頑張れる強い生徒ばかりではない。
 自分達もこうした集まりのような機会に働きかけていくが、日本人が在日の問題に向きあっていって欲しいと、さんは強調した。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://jcjkana.blog102.fc2.com/tb.php/37-77944cdc

井筒監督「パッチギ! LOVE&PEACE」で石原斬り

井筒監督の傑作「パッチギ」の続編がいよいよ5/19公開される。 公式サイトhttp://www.pacchigi.jp/loveandpeace/ 傲慢イシハラが都知事にもかかわらず(そんなに暇なのか)製作した「俺は、君のためにこそ死ににゆく」を新作の「パッチギ」では、徹底的に皮肉っている。
2007-06-09 20:26 | 反米嫌日戦線「狼」(醜敵殲滅)

 | ホーム |