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 神奈川支部通信 第40号(2003年4月1日発行)から転載します


「柳条湖」と「柳条溝」 
      ~歴史家藤原彰先生を偲ぶ~    
             友枝隆生(編集者)

 2月28日、ミリオンセラーの岩波新書『昭和史』(遠山茂樹・今井清一と共著)の著者で日本軍事史研究の開拓者・藤原彰さんの訃報に接し、呆然としてしまった。
 3年にわたる透析のお見舞いをかね、私は1月末に、近況報告としてJCJが中心となって推進している「戦争の記憶の証人として、メディアの現場に働く人々へのOBからのアピール」のリーフレットを送っていた。2月に入って先生から「昨年末から入院していて、数日前に退院したばかりです。何とか日常生活をこなしていけるよう努力しています」という礼状をいただいたばかりだった。
 
 思えば東京オリンピックの1964年秋、友人に誘われて私は新聞記者をやめ、“総会屋雑誌”から近代史の読物雑誌に衣替えしたばかりの『人物往来』の記者に転職して、翌年2月号の2.26事件特集で、先生に「国家改造の夢と誤算」の執筆を依頼し、力作論文をいただいた。以後、小学館に移ってからは労組の連続講座で講演していただいたり、『昭和の歴史』(全10巻)の編集委員と、第5巻の『日中全面戦争』の執筆をお願いし、『日本歴史大辞典』(全4巻)にも多大のご助力をいただいた。

 81年の9.18に「柳条溝」に立とうと、藤原先生を団長とする中国調査旅行に同行させていただいたことがある。
 「柳条溝事件」50周年の9月18日、同じ爆破地点に立った。ところが日本語の発音があまり正確ではない中国人通訳が何度も「リュウジョウコ」という。他のことならいざ知らず地名や固有名詞は一応正確にしたほうがいいと思い、私は「コではなくコウだよ。溝はコウと読むんだよ」とたしなめた。すると通訳は憤然として「案内人はコと言っています」といいきった。それを聞きつけ藤原団長や大江志乃夫氏、江口圭一氏、粟屋憲太郎氏など皆がかけつけてきた。案内役の青年共産党幹部の人々とのやり取りのなかから、昔は湖があり、当時の地図にも「柳条湖」と書かれていたことがわかった。「柳条溝事件」が「柳条湖事件」に改められた歴史的瞬間に立ち会った調査団での感激は忘れられない。(なぜ「湖」が「溝」になったのか、詳細は小学館版『昭和の歴史』第4巻・江口圭一『十五年戦争の開幕』に譲りたい)

 戦争中に盧溝橋や「柳条溝」を将校旅行で探訪したことがあり、また20歳の陸軍最年少の隊長として華北戦線での戦闘で負傷し、弾丸の破片がまだ体内に残っているという団長のガイドは淡々としていながら重みがあった。
 しかし旅の間中、中国語が出来る先生がついに一言も中国語を話そうとしなかったことが気になっていた。「ぼくがしゃべると、つい命令形の多い<占領者の言葉>になってしまうからですよ>と苦笑した。
 復員後、東大国史学科に入学した藤原先生は、48年に15年戦争の原因を明らかにするために2.26事件を卒論のテーマに選んだ。当時としてはわずか十数年前の事件を対象とした東大初の現代史の卒論だったという。そして先生は55年後のくしくも2月26日、旅立っていった。ご冥福をお祈りいたします。

 
  (掲載にあたり、適宜、行あけしました)

  柳条湖事件

 Wikipedeaの記述から

 日本では長く「柳条溝事件」と称されていたが、これは当時伝えられる際の誤りだったと1980年代になって判った。現場の地名は「柳条湖」である。1980年代以前の歴史書、論文には誤った名称が使われているので注意が必要である。
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